ライオンズクラブ国際協会334-第4R第1Z
2005年〜2006年度 名張ライオンズクラブ
会長 森島國久
皆様、ご承知のように金沢尾山ライオンズクラブと我がクラブ名張ライオンズクラブが今から30年前に姉妹提携を結ぶことになりました。クラブ結成日が同じというご縁で、今日まで先輩ライオンの指導の下で友好的なお付き合いをしてまいりました。特に、金沢に我々メンバーが訪問した時には、いろんな所にご案内して頂き、北陸の活きのいい魚料理や洗練されたお料理などで歓待していただきました。
私は、15周年の時に入会しましたが、チャーターメンバーと同様に扱って頂き、30年たった今日でも変わらないお付き合いをして頂いております。我々名張LCの会員も、金沢尾山LCと同様に今後も、この気持ちを忘れずに姉妹提携を続けていかなければならないと思っています。今回、私が31代目の会長就任にあたり、違う角度から金沢と近くの村の関係を調べてみました。
それは、奈良県添上郡月ヶ瀬村と金沢のつながりです。現在、月ヶ瀬村は奈良市に合併され、奈良市月ヶ瀬村になっております。金沢にあります、金沢星陵大学(旧金沢経済大学)の創設者、稲置繁男総長は、明治42年6月17日奈良県添上郡月ヶ瀬村大字桃香野4609番地にて、中奥家の次男として誕生しております。その後、金沢の稲置家に養子に行かれ稲置繁男となり、珠算簿記専門学校を創り成功され、現在の学校法人稲置学園を創られました。現在、金沢星陵大学の理事長は、娘の稲置美弥子さん(中奥家の兄の子供、繁男の甥従兄弟同士で結婚する)が、継いでおられます。この月ヶ瀬村は、奈良県とはいえ、名張とはごく近いところに位置し、3年前、月ヶ瀬村にあるゴルフ場KOMAカントリークラブに金沢LCの皆様をご案内し、プレーをしていただいたところです。
次に、尾山天神と加賀前田百万石候についてお話をさせて頂きます。
この伝承資料につきましては、月ヶ瀬村石打に住んでおられる稲葉長輝(いなばおさてる)さんにお聞きいたしました。現在稲葉さんは、大正4年生まれで、満90歳。非常に元気で、私を車に乗せてご案内していただきました。稲葉さんは、学校の先生をされ定年前には、地元の月ヶ瀬中学校の校長を務められ、その後退職され以後月ヶ瀬村の歴史を調べ、地元の皆様に大変親しまれているおじいさんです。
石川県の尾山神社と月ヶ瀬村との関係は、伊賀市古山の史跡研究家吉住勘之(よしずみさだゆき)さんが、歴史資料として残してありました。
本稿は前田利家伝承を介しての大和国添上郡月ヶ瀬村(現・奈良市月ヶ瀬村)と近世金沢(現・金沢市)の地名に関する伝承資料であります。
加賀前田百万石、利家候の祖父・前田蔵人利成(まえだくらんどとししげ)幼名長五郎は、大阪近くの戦いで敗戦し、月ヶ瀬村真福寺の北の大矢家に逃げてきた。その後、村の女松本みのと婚して三学院に住まれた。それから何年かが過ぎ、北陸の森常恒(もりじょうこう)に仕官して、加賀に移ることとなります。ここで、妻はなを迎えて前田利昌を生み、金沢地に築城して、父の出世の守り神月ヶ瀬にある尾山天神を分神し、尾山に天神さん(菅原道真)を祭り、城山を尾山と名づけました。
金沢の地名は、中世末賊民とされた「金屋」によって発見されたもので、地名の由緒は「金洗沢」「金堀沢」であったことは周知のとおりであります。
金屋は一向宗門徒であったことから、「金沢」は早くから石山本願寺など畿内に知られていました。「金沢御堂」「金沢御坊」「金沢寺内町」がこれであります。前田利家は、一向宗門徒により命名された金沢の地名を嫌い、尾山城・尾山町と改めました。前田利家の家紋梅鉢は、月ヶ瀬村尾山の松本家の家紋と同じでありまた、奈良市月ヶ瀬村尾山は、昔から梅林の地で有名であります。このことを、昭和50年9月14日15日両日にかけて、旧金沢経済大学の国文学の田中喜男先生他数名が、月ヶ瀬村を調査のため訪れました。その結果、史実上の誤りもきわめて多いが、伝承にはそれなりの民衆の思いが込められ今日にいたっているだけに、むげに否定も出来ないという結論を出されました。今日でも、月ヶ瀬村の松本家一族が講をたき、毎年石川県金沢市の尾山神社にお参りをしておられます。月ヶ瀬村の子供からお年寄りまで、金沢星陵大学創設者稲置さん(中奥家)の関係また、尾山神社のつながりで、金沢の土地を訪れておられます。このことは、月ヶ瀬村村民は今後ともこのつながりを受け続けていくことでしょう。これらのことを調べ、皆様にお話させて頂く事によって、我々クラブと金沢尾山ライオンズクラブとが、今まで以上に親しみを感じ取れることと考えています。今後ともこの良き関係を続けることを会員全員に周知し、特に今後の新入会員にも伝えていき一層の友好関係を築いて参りたいと思っております。